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野本立人&清水昭スペシャルインタビュー

「合唱団ひぐらし」って何か変で、おもしろいよね……。何かにつけて、そう言われることの多いのが、ひぐらしです。でも「変てこ」や「おもしろさ」の理由はいったいどこにあるのでしょう?

我らが指揮者であり、そして実は団員でもある、野本立人さんと清水昭さんのお2人に、それぞれの練習の後、ビールジョッキ片手に、「ひぐらし」と第25回定期演奏会「いろはのゐ」のことを聞いてみました。

​(聞き手:小国綾子)

​野本立人インタビュー

──練習お疲れ様でした。〈いろはのゐ〉まであと半月。今日の練習、いかがでしたか?

 

野本 悲しいことあり、うれしいことあり。ひぐらしの練習は毎回そうですね。

 僕は、ひぐらしでは本当にたくさんの言葉を費やしてるように思います。中には“暴言”もありますが、あれだけの言葉を使うってこと自体がきっと、僕の側の、合唱団に対する期待値なんだと思います。そんなことも最近は自覚しているんですけどねえ。

 

──言葉といえば。野本さんのひぐらしでの名言、迷言、暴言の数々がとうとうこの夏、ひぐらし創団30周年を記念したグッズ『野本立人おことば手ぬぐい』(¥1000)に結実しましたね。手ぬぐいに染め抜かれた“おことば”集の中に、「僕の暴言はひぐらしだけのものです。」とあります。あの言葉なんてもう、野本さんのひぐらしへの屈折した愛情を象徴してますよね。

 

野本 ははは。そう。確かにね。

 〈ひぐらし〉は20代の時に自分でつくった団体ですから、自分にとっては“等身大”の存在なんです。まるで自分を投影するための“鏡”みたいな存在。ひぐらしにできることは自分にできることだし、ひぐらしにできないことは自分にできないことなんだ、という意識がどこまでもあります。

 だからね、うまく鳴らない時は、暴言だって出る。合唱団への期待値が常に高いから、ついイライラもしてしまう。うまくいかない時は「なんでだろう」と悩む。でも、練習の後、よーく考えてみたら、やっぱり僕が悪いんだ、といつも思う。「ひぐらしが上手にならないのは俺のせいなんだ……」と。

 

──それは30年前も今も変わらないんですか?

 

野本 若い頃は特にそうだったけど。でも、今もやっぱりそう。スタンスとしては変わらないなあ。

 

──外側から見た時の〈ひぐらし〉の最大の特徴は、「指揮者が二人いる」ということだと思います。指揮者を複数にする、というひぐらしの在り方を30年前から今まで、一貫して選び続けてきたのは、野本先生ですよね。

 

野本 はい、そうです。「指揮者は僕一人じゃない方がいい」という点については、この30年間、ぶれたことは一度もないですね。

 

──それは、なぜ?

 

野本 若い頃は単純に「一人じゃ持ちきれない、負えない」と思っていたからです。力不足だと思ってもいたし。

 でも、本質的な理由はそこではなくて。

 僕は、指揮者がたった一人であることで起こる“主従関係”を嫌ってたんだろうなあ。指揮者と合唱団員、というわかりやすい図式が生まれるのを嫌っていた、というか。

 指揮者が複数いて、別の人が指揮をしている間は自分も歌う、という体制にすれば、“先生と合唱団員”という単純な主従関係に陥らないでしょ。そこにこそ、合唱団の自主性みたいなものが生まれると信じていたんだろうね。

 

──理想としては、それってすごいと思う。でも、合唱団って、ほかの指揮者の練習が入れば当然音も変わる。ご自分の理想の音があればあるほど、複数の指揮者でやり続けることの苦労とか背負わなければいけないものも当然出てきますよね。

 

野本 それは……うん、確かにあるね。でも、本当に、どうしてなんだろうね。どうしても僕は、「一人じゃないこと」を大事にしたいと思ってしまう。

 あえて言葉にするなら、それはやっぱり、ひぐらしがずっと大事にしてきたスローガン「一人一人が同じ重さで団に存在する」ってことに尽きるんだろうな。

 それを実現するための大切な“仕掛け”として、今の二人指揮者体制があるんだと僕は信じているんです。

 

──清水 昭さんとの出会いや、それまでのひぐらしの歴史について教えてください。

 

野本 まず、ひぐらしを作った時のことから話しましょうか。

 あれは、僕が24歳の時だったかな。たまたま仕事で一緒になった東京芸大の先輩の小濱 明さんが「おい、野本、合唱やろうよ」と言い出した。「いいっすねえ、僕もやりたかったんすよ」という話しになり、じゃあ、メンバーを集めよう、と。

 そこで彼も僕も高校時代の合唱仲間を中心に声をかけて、そうやってできたのが〈ひぐらし〉の始まりです。だから当時は、小濱さんの故郷である熊本・水俣と、僕の故郷である三重のメンバーが多かった。まずは当時の東京都民コンクールに出場。いきなり2位を取りました。初代団長は、小濱さんでした。

 さらに、三重出身で、芸大の友人にも「指揮してよ」って誘いました。ちょっと天才肌の、力量のある人だったから。

 

──「合唱しようよ」ではなく「指揮してよ」と誘ったんですか。やっぱり、野本さんは互いが指揮し、歌い、刺激し合う、みたいな在り方をずっと追いかけてたんですねえ。

 

野本 そうそう。

 で、20年ちょっと前、諸事情あって、指揮者が僕一人になった時期があってね。やっぱりうまく回らない、と思った。ひぐらしは自分の等身大だから、すぐに煮詰まっちゃうんです。合唱団の方もつらくなっている感じがした。

 そんな時、自分とは全然異なるタイプの、10歳年上の昭さんと一緒にやれたら……と思いついたわけ。これを思いついたことは、今でも大ヒットだった、と思いますよ。

 

──それを思いついたのって、いったいどんな場面?

 

野本 昭さんとたまたま二人でしこたま呑んでた時。突然、「ああ、この人とやったら面白いだろうな」って思いついたの。

 

──あああ。やっぱり呑んだのが物事の始まりなんですか。あまりに、〈ひぐらし〉っぽい……というか、このインタビューだってお酒を飲みながらですしねえ。

 

野本 人と人との出会いとは、そういうもんです。

 昭さんのことは、もちろんそれ以前から知っていたけれど。うちの奥さんの筧(注:筧 千佳子さん)が、昭さんの振ってる丸紅本社合唱団でピアノを弾いていたから、昭さんがどんなに面白いかはずいぶんと彼女から聞いていたんです。

 でも、ひぐらしにお誘いしたのは、群馬県の合唱祭の講評者として僕と昭さんの二人が呼ばれたことがあって、帰りの東武線で呑みながら浅草まで来て、まだ足りないとさらに終電まで浅草で呑んで語り合った、その夜でした。20年以上前の話ですけど。

 僕が「昭さんさあ、ひぐらし、振りにきてよ、面白いよー。そんなに上手じゃないけど」って言ったら、昭さんも「いいなあ、俺、振りたいなあ」って言ってくれて。

 「でも、あれだよ、ひぐらしの指揮者だって団員扱いだよ」と一応ちゃんと事情は話したの。指揮者も団員と同じで団費は払うし、謝礼はもらえないんだよ、って。

 その日はそのまま別れたんだけど、昭さんの方から筧に「ねえねえ、ひぐらしで振りたいんだけどどうしたらいいかなあ」って質問があったそうで。筧がなんと答えたかというと「え? そうなの? じゃあね、団員になればいいよー」って。

 そしたら昭さん、「そっか。じゃ、俺、ひぐらしの団員になるからさー」と、ひぐらしに本当に来ちゃったわけ。

 

──そこから、昭さんとの“二人体制”へと落ち着いていくわけですね。野本さんにとって、二人体制のお相手が昭さんで良かったなあ、って思うのはどういう点ですか。

 

野本 昭さんは、僕とまったく違うタイプでしょ。だから、常に学びがある。刺激的だと思う。昭さんにとって本番は“ライブ”なわけ。で、ライブの準備としてリハーサルがある。

 昭さんは、僕が考えている「合唱団のメンバーを尊重する」というのとは全然違うアプローチなんだけど、実はものすごく合唱団のメンバーを大事にしてくれていると思います。何より、合唱団をリスペクトしてくれているよね。

 それが、〈ひぐらし〉が上手い下手に関係なく、合唱団として自立していられる大きな鍵を握っているんじゃないかと、僕は思っているんです。

 

──合唱団としての自立、ですか。ひぐらしは、自立できていると思いますか?

 

野本 うーん。それに近い状態だったこともあれば、そこから離れた状態になったこともあります。その時その時で顔ぶれも変わるから。

 でも、僕はね、入団してくれる全員にそれを求めるのも酷なのだけど、やっぱり「一人一人が同じ重さで団に存在する」を大事にしてほしいんです。それができるのが〈ひぐらし〉なんだと信じたいんです。

 

──ところで、「ひぐらしスイッチ」ってある気がするんです。それをポンと押すと、途端に音楽が流れ出す、みたいな。

 

野本 うん。それははっきりとあるよね。

 

──スイッチを押す要素として、まず曲があると思う。ひぐらしって、好きな曲を歌った瞬間、ぱーんとスイッチが入って音が変わりますよね。

 

野本 うんうん。

 

──ところで、野本さんはそのスイッチを意図的に押すことがありますか?

 

野本 えっ。なんだろう……。あんまり、考えたことないなあ。

 

──えっ。全然自覚してないんですか? たぶん、一つは、野本さんが美しく歌って聞かせてくれた時。団員のスイッチがぽーんと入る時、ありますよ。あとは、野本さんがその歌への思い入れをとても誠実に言葉で語ってくれた時、かなあ。団員はみんな、野本さんのそういうところが大好きだから、ほだされてスイッチが入る時がありますよね。

 

野本 へえええ。なるほど。それは光栄です。

 

──ところで、団員に今、求めたいことは何でしょう?

 

野本 やっぱりね、一人一人がもっと責任を持ってやろうよ、ってことかな。自分として、自分の歌を歌ってほしいと期待してしまう。

 僕は、団員一人一人の“自分の歌”を引き出すサポートをしますが、でも、それだけではなく、そうやって引き出された一人一人の歌と、対峙したいと常に思っているんです。だから「一人一人がもっと責任を持って歌って」と団員に求めるし、歌を引き出す方に時間がかかりすぎて、対峙する時間がないとついイライラしてしまう。音楽の喜びは、その対峙する時間にあるから、なんとかしなきゃ、ってね。

 〈ひぐらし〉は実に面倒くさい団だと思う。いわゆる学生合唱のOBOG団体とは違う。全員が同じ部活でみっちりと鍛えられてきて、音取りさえできればすぐに鳴り出すような合唱団はそりゃ楽ですよ。でも、雑多な顔ぶれが集まるひぐらしでは、そんな楽はさせてもらえないから。

 

──そう言えば、『おことば手ぬぐい』に「まあ、僕みたいに歌えれば、苦労しないよね」という野本流“暴言”がありますが、実際、野本さんみたいな歌い手さんを50人集めて合唱をできれば、「苦労しない」でしょうね。でも、それだと、つまんなくないですか?

 やっぱり合唱って、他人とやれるからおもしろいと思うんだけど……。

 

野本 ああ、それは絶対にそう。合唱は、他人とやらなきゃいけないからこそ、面倒くさい。でも、だからこそ、おもしろいんだよね。

 それで思い出したんだけど。

 実はすごく青臭いんだけどさ、僕が高校時代、合唱を仕事にしようと心に決め、芸大進学を志したのもそこだったんだよね。

 

──えっ。野本さん、芸大を志したのは合唱をやるためだったんですか?

 

野本 うん。もちろん。

 高校時代に合唱をやっていて、決意したわけ。「合唱は他人とやるから面倒くさい。それなら、この面倒くさいことを、徹底的にやり倒してやる!」って。

 

──うわあ、それで芸大? なーんだ、じゃあ、ひぐらしという面倒くさい合唱団のこの状態は、野本さんが若き日に自分で選んだ、そのものじゃないですか! 文句言えないですよ、これ。

 

野本 あはははは。ほんとだねえ。まさに、雑多で面倒くさい〈ひぐらし〉は、僕の“初志貫徹”みたいな存在なんだろうね。そう考えたら、なんか、もう笑えちゃうねえ。

 

──ところで、演奏会に向けて、演目への思い入れなんかも聞かせてください。まずは、マルタンの「二重合唱のためのミサ曲」から。

 

野本 マルタンははもう、高校時代からずーっと好きだった曲。だけど自分で指揮したことは一度もないんです。

 1996年の7月に、ひぐらしとクール・プリエールという合唱団がジョイントコンサートを開いた時、黒岩英臣先生がマルタンを指揮された。これがすばらしい演奏だったんです。でも、ひぐらし単独ではとてもじゃないけどできないな、と思った。

 それ以来、「いつかやりたい」と思い続けてきました。でも「できる時」を待っていたら、「いつか」なんて来ない気がして。「いつか、なんて言ってないでもう、思いきらなきゃ、いつまでもやれない」と思って。それで創団30周年の節目の年に、「今年はこれをやる」って宣言したんです。

 

──マルタンの二重ミサ、一番好きなのはどういうところですか? って、ああ、これかなりひどい愚問ですよねえ。

 

野本 ははは。でも、言われてみると、なんで僕、あの曲がこんなに好きなのかなあ。そんなことを考える余地もなく、大好きなんです。

 それは……ほら、好きな女の子がいて、「私のどこが好きなの?」って聞かれているみたいで答えようがないけど、もう、カッコいいとしかいいようがないんです。

 

──野本さん、それって本当に素敵な答えだと思います。

 

野本 うん。もうね、うわああああ、この曲、カッコいい!!! って思ってる。これだけははっきり言える。

 だからさ、マルタンのミサを練習していて、カッコよくないと、がっかりしちゃうんだよね。「カッコよく歌えないとこの曲を歌う意味がないのに!」と思ってしまう。

 マルタン、本当はカッコいいんだよ。いい音が鳴れば、絶対みんな幸せになれる曲だと思うんだ。

 

──ううう、ごめんなさい、もっと練習します。

 

野本 で、もう一つ、現在ひぐらしに在団中、あるいはかつて在団した作曲家たちのアラカルトステージについても。

 あれは、練習後に運営委員会で飲みながら、僕が提案したんじゃなかったかなあ。「現役団員やかつての団員に、ひぐらしに関係のある作曲家がいるんだから、それらの曲を並べてみたら?」って。創団30年目のひぐらしの象徴的なステージになるでしょう?

 

──実際、本当に個性的な曲が集まりましたね。どの曲も、その曲らしい音色で全部歌い分けたいし、そうすることで、どんなに多彩な作曲家がひぐらしに関わってくださっているのかを音で表現できたらいいなあ、と思って練習しています。

 

野本 本当にそうだよね。

 例えば2曲目は、元団員だった魚路恭子さん、通称、うおきょう。ひぐらしに最初にやって来た時なんて、しゃべりまくるのが印象的で、そのくせ鼻っ柱は強くて、才能の塊みたいな面白い人でした。今回の「あげます」なんかもう、うおきょうがしゃべってるのがそのまま曲になったみたいな作品なの。だから、僕としては、そこをなんとか表現してみたくて選んだんです。

 ほかの曲についても。その人らしい曲を選び、その人らしい、その人の人となりが出るような演奏をしたい。

 このステージに関しては、何よりそんな思いが強いです。

 

──せっかくなので、昭さんのステージについても一言、聞かせてください。

 

野本 実は「等圧線」は僕も大好きな曲集です。僕がいつか演ってもいいなーって思ってたくらい。勤務先の兵庫教育大の音楽コースの合唱団でも全曲演奏したことがあるくらいです。

 だから、この組曲は昭さんの下練習をやっていても楽しい。特にナイーブな「F」は好き。ピアノで聴かせる曲だよね。あのナイーブさを出せる合唱といえば、ひぐらしよりもうちょっと若いほうがいいかな、と思ったりもするんだけど、ひぐらしは化けられると思うし、うまく化けてほしいですね。

 一方、武満徹さんの「うた」は、合唱世界ではもはや古典的名曲ですよね。僕が高校時代に出た楽譜で、すごく素敵な曲だなあ、やってみたいなあ、と何度も取り組んでは、うまくいかない……そんな思い出の曲集です。

 

──今回の演奏会、お客さまに一番伝えたいことは何ですか。

 

野本 本当はね、「かっこいいマルタン」を是非聴いていただきたいんだけどね。現状では、なかなか厳しい……。でも、せめてマルタンのあの曲の素晴らしさだけでも伝えたいよねえ。

 あとはさ、もう一つの団員作曲家のステージなんかを通じて、ひぐらしがいろんなものが雑多につめこまれた面白い合唱団だってことが伝わればいいなと思っています。

 〈ひぐらし〉ってやっぱり面白いでしょ。一人一人が独立している。それでいて、集団になりたいという志向性がある。こんなにバラバラな人たちなのに、なぜ一緒に歌おうとするんだろうね。独立していたいという思いと、一緒にいようとする志向性との間を、うにょうにょとうごめいている感じがあるのね。だから、ひぐらしの音は、いつもリアルに変化する。そこが面白い。

 お客さまには、純粋性とは真逆にある合唱団が、音だけは一生懸命、純粋な方向に追求している面白さを聴いていただければ、と思いますね。

 

──たっぷり1時間半のインタビュー、ありがとうございました。ついつい団員の矩をこえて、失礼な質問もしちゃいましたが、今さらですが、ごめんなさい。

 

野本 いやいや、全然そんなこと思っていないよ。というかね、僕はむしろ、合唱のこと、音楽のことをいつでも、誰とでも、指揮者と団員なんて関係なく、語り合いたいと思っています。誰からでも、どんなことでも、聞かれたらまっすぐに答える準備はあるし、そういうことを常に語りたいと思っているんです。そうやって常に対峙していたいんです。むしろ最近は、そういう時間が減っていて、さびしいくらいです。

 

──なんか、やっぱり野本さんって、音楽にも、人にも、誠実なんだなあ、ってしみじみしてしまいます。では、最後に。ひぐらしにはどんな新入団員さんに入ってほしいですか。

 

野本 それはもう。合唱が好きで、そして、人間が好きな人!

 

(2018/07/08 休日練習後、文京区の焼き鳥屋でビール)

清水昭インタビュー

──〈ひぐらし〉の面白さを一言でいうと?

 

清水 「先生の言う通り歌います!」という合唱団じゃないこと、かなあ。ほら、先生が何を言っても、それを素直に聞くだけの団じゃないでしょ。

 

──あはは、いきなり、そこですか! ところで、昭さんは、ひぐらしとの出会いは、22年前でしたよね。

 

清水 うん。でも、野本立人さんのことは、22年前に〈ひぐらし〉で振るようになるよりずっと前から知っていました。

 職場合唱団の合唱祭で顔を合わせる関係だったんです。僕の振っている丸紅本社合唱団なんかと、野本さんの振っていた当時の大成建設の合唱団は、同じ芙蓉グループの主催する毎年の合唱祭に出ていたからね。

野本さんはその当時から、ごく普通の十数人の職場合唱団なのに、結構マニアックなことをやっていて、面白い人だと思っていました。

 そんな頃、丸紅本社合唱団のピアニストが辞めることになって、それで、野本さんの奥さんの筧 千佳子さんにお願いしよう、となったの。僕は、筧さんのピアノ、好きだったからね。それが一つの伏線だったのかな。

 ある時、群馬県の合唱祭の講評に二人して呼ばれて、その帰りに浅草で二人で飲んでね。最初は、野本さんに「ひぐらしに遊びに来ない?」って感じで誘ってもらったように記憶しています。で、遊びに行ったら、いきなり野本さんから「僕はバスを歌うから、昭さんがコンクールを振ってよ」って話になって。確か合宿までして、G1のルネッサンスものをやったの。

 当時、〈ひぐらし〉はまだ20数人だったけど、いろいろな人がいるのが面白かったな。

 

──22年前といえば、昭さんは40代前半。合唱指揮者としてお仕事も安定していた時期だと思うのだけど、そんな昭さんの目にも、ひぐらしは「おもしろい」と映ったんですか。

 

清水 うん。だって僕は、それまで出身の早稲田大学のコール・フリューゲル系か、関屋晋先生の系列以外で、合唱団を知らなかったからね。

 もちろん職場合唱団は結構振っていたけど、ルネッサンスや現代物をやるとか、それこそ、ジョイントコンサートでマルタンの二重ミサをやった、みたいな〈ひぐらし〉のような混声合唱団との出会いは新鮮だった。だから「これは勉強になるぞ!」と思ったのね。

 しかも当時はいろいろな人が指揮し、誰かが指揮している時は別の指揮者は歌っていた。お互いに勉強し合い、刺激し合う、その雰囲気に「これは面白そうだぞ!」と。

 

──その後、ひぐらしでは野本さんと昭さんの“二人体制”が定着しました。これが団体の外から見れば〈ひぐらし〉の最大の特徴にもなっています。野本さんはずーっと「指揮者を複数にすること」を大事にしてきましたが、これって、なぜだと思います?

 

清水 え? 全然わかんない。

 

──は? まさか、野本さんに尋ねたこと、ないんですか?

 

清水 ないない。一度もない。

 

──えーっ。私なんて、野本さんへのインタビューのほぼ冒頭でこれを質問しちゃいましたよ。普通、興味あるでしょ?

 

清水 ふーん。そうなんだー。

 あ、でもね。僕、これは覚えているんだけど。二人体制について、一度だけこんな話をしたことがありました。

野本さんは〈ひぐらし〉を作った人で、いわば首謀者だ。でも、僕みたいな10歳年上のヤツが来てね、なんか、僕を差し置いちゃいけないんじゃないか、と思っているフシがあった。野本さんからそんな思いを打ち明けられたんです。だから僕はその時、「あなたが首謀者なんだから、あなたのやりたいことをやるのが僕は一番うれしいよ」って伝えたの。

 だってさ、個性の違う指揮者が二人いるから〈ひぐらし〉は面白いのだし。野本さんにはずっと首謀者でいてほしい。その方が僕は気楽な立場で、フリーな立場で、団内の面倒くさい運営話や、ややこしい人間関係なんかに首を突っ込むこともなく、好きなことをやれるんだから。とにかく僕に遠慮せずに、好きにやってほしい、ってお願いしたんだよね。

 僕はそういう立場が性に合ってる。ほら、関屋 晋先生の晋友会でも、ど真ん中に敬一(注: 清水 敬一氏)がいて、僕は好きなことをやってる。これと似てるでしょ。

 

──あ、ほんとだ!

 

清水 野本さんが首謀者でいてくれるお陰で、僕は〈ひぐらし〉ではフリーな立場でいられる。気楽に好きなことをやらせてもらえてる。それもひぐらしの魅力ですね。

 そういう意味でも、他には絶対ない合唱団。こんな合唱団に巡り合ってしまったら、そりゃ普通、ずっと付き合いたい、見届けたいと思うよね。……って、そんな感じで今も僕はここにいるんだと思う。

 

──ひぐらしの“面白さ”は、今も変わりませんか?

 

清水 今は人が増えたから、変わった部分もあるのだろうけど、変わらない雰囲気はあると思う。ほら、一人一人が歌う以外でも、何かしら持っている感じがあるよね。

 歌としては表現できない人でも、感じる力が強かったり、歌以外で何か役に立とうと工夫していたり、そういう雰囲気があるじゃない? 「先生の言う通りにしない人たち」だからかなあ。

 僕なんかには、実は「先生の言う通りにします」「みんなで先生の歌を歌います」という合唱団の指導の方が難しく感じます。「仕込む」っていうのが、僕には、ないからね。

 ひぐらしみたいに何かしら持っている合唱団の方が、「あ、ずれた」と思っても放っておけるの。放置して、翌週振ったら自然とうまくいくこともあるし。

 ひぐらしって、単に自分が歯車の一つとして、いい演奏してコンクールで賞を取りたい、というのとはまったく違う合唱団ですから。

 

──なるほど。よく、動物園みたい、とか言われますもんね。ものすごく澄んだ音や、完璧な和声は聞こえてこないけど、妙に面白い、とか。

 

清水 でも、それってすごく大事なの。「蒸留水はおいしくない」というのと同じじゃないかな。蒸留水って、本当においしくもなんともないんです。あまりにピュアだから。ちょっと違うものが混じってるからこそ味が出る。

 音楽もそうじゃないかな。多少音程が違っても、いろいろな人がいることで、音楽に広がりや深みが生まれることが、特に大型合唱団の場合はあるんだよね。

 

──合唱団って、何かしらできていないことがあった時、放置しても、歌い慣れたら自然と解決するところと、放置するとあとで取り返すのが難しい部分があると思うんです。その見極めって難しくないですか?

 

清水 それは難しい。本当に難しいよ。

 

──でも昭さんって、それを自然と見極めますよね。あれって昔から得意なんですか?

 

清水 いやいやいや、違う違う。もう、若い頃なんて、合唱団の演奏を途中で止めて止めて……ものすごく神経質な指揮者だったと思うよ。ものすごくうるさく指導したし。

 今ならね、職場合唱団の平日の練習なんてもう、「来てくれてありがとう」って気持ちで、休日練習ほど声がでなくてもしかたないよね、と思えるけど。昔なんてもう、容赦なく、「声出せよー」って。

 

──ええええっ! 昭さんが? 想像できない……。

 

清水 はははは。もう、自分でも思い出したくないくらい。

 20代は、今より20キロくらい痩せてて、練習も神経質でぴりぴりしてねえ……。それでも本番は、みんなに好きに歌ってもらっていたと思うんだけど。

 

──今、「仕込む」ことをしない、というのはなぜですか。

 

清水 うーん。なんだろうね。やっぱり人間って、合わせなきゃいけないと思っていると、プレッシャーが大きいんだよね。それなら、「だいたい合ってればいいから」って言ってあげて、みんなにのびのびと歌ってもらったほうが、結果的に音程がよくなることもある。それを経験的に言ってるだけなのかなあ。

 

──20年前の、ぴりぴりした若き日の自分のような指揮者が目の前にいたら、昭さんは何かアドバイスしますか? ……ってか、しないでしょ、きっと。

 

清水 うん、きっと、しない。

 だって、それは自分で気づくしかないから。それに、僕もねー、とにかくアドバイスされたことのない人間だったんだよ。いろいろな先生から、「こいつは放っておいてもどうにかなるだろ」と思われていた節があってさ。もうちょっとこうしたほうがいいよ、とかおよそ言ってもらえなかったよ。寂しかったなあ、誰にも何にも言われなくて。

 

──あの……。昭さん、そもそも、アドバイスを求めて回らなかったんでしょ。

 

清水 あっ、確かに。自分で指揮した後に、「何か気づいたことがあったら教えてください」なんて先生方に聞いて回ったり、俺、しなかったもんねえ。している人、確かにいたねえ。

 

──ところで、「ひぐらしスイッチ」ってある気がするんです。それをポンと押すと、途端に音楽が流れ出す、みたいな。昭さんはそのスイッチをどうやって押してるんですか?

 

清水 うーん。あんまり意識したことないなあ。

 だってねえ、「こうやったらうまくいくだろうな」と狙った時ってあんまりうまくいかないんだよね。スポーツなんかと同じ。あまり理詰めで考えず、この辺かなー、とスイングしたらぽーんとホームランが出たり。

 結局はすべて経験、なんだろうね。

 いろいろと経験を積んでいくうちに、なーんとなくこの辺が、僕もみんなも幸せなんだな、とわかってきて、感覚的に、「じゃ、こんな感じでいこうかなー」と。

 

──昭さんって、練習中によくピアノでコード進行を弾いて聴かせるじゃないですか。あれも、ひぐらしスイッチをよく押してくれている気がします。

 

清水 ああ、そうだったら本当にうれしいなあ!

 あれはねえ、音程を正しく歌うことと、ハモることとは違うってことなんだよね。合唱ってさ、この“ファ”も正しい、この“ラ”も正しい、この“ド”も正しい、でもファラドがハモらない、ってあるでしょ?

 私はファはこれです! 私のラはこれです! 僕のドはこれです! って正しく歌ったってハモらない時がある。でも、ハモる時のファラドもあるよね、って。ハモる時の感覚を味わってほしくてね。

 

──なるほど。では、今回の〈いろはのゐ〉の演目について、聞かせてください。昭さんは今年から3ヵ年計画で、武満徹さんの「うた」2冊を全曲演奏します、と宣言しましたよね。あれってなぜ?

 

清水 うーん、わからない。やりたかったの、なんとなく。

 

──うっ。なんとなく、ですか。

 

清水 うん。「うた」は好きだけど、ほかの団体で全曲演奏したことはないし。ふと、全曲を3ヵ年計画で歌うプロジェクトを思いついたら、これは面白そうだって。僕って意外とノープランなんだよ。

 

──あ、それはもう、みんな知ってるかも。

 

清水 あはは。僕は、その場しのぎというか、行き当たりばったり系。そういう自分だから、「3年かけて全曲やろう」とかわざわざ言うのかも。自分に言い聞かせるみたいな感じなんだね、半分は。

 〈ひぐらし〉でどういう音を鳴らしてみたい、とかも、僕にはないんだよね。譜面を見て、みんなの音を聴いて、今できる一番いいものをやりたい、ってそれだけ。この材料でどれくらいおいしいものができるか、って感じ?

 

──じゃあ、「等圧線」は?

 

清水 やりたい理由? うーん、なんでだろねえ。

 ただ、6年前、「リフレイン」をアンコールで演って以来、いつか全曲を、っていうのはあったのかも。

 ほら、アンコールで演る「リフレイン」と、組曲の中の終曲としての「リフレイン」は当然、違ってくるよね。ならば、どういう「リフレイン」が終曲としてふさわしいのか。

 まだ僕には見えてない。

 それが見えるのはきっと本番の日じゃないかな。

 いつもね、なんとなくこの方向かなあ、とおぼろげながらわかるパターンもあるんだけど、当日舞台に立ってもまだわからないパターンもあるわけ。

 だから「リフレイン」をこんなふうにしようって見えるのは、本番の3曲目が終わってからかもしれない。

 

──野本さんのステージに対しても一言お願いします。

 

清水 ひぐらしに縁のある作曲家たちの作品のステージは、聴き手としてとても楽しみにしています。そもそもこういう企画のアイデアが浮かぶことも、それが成立することも、ひぐらしならでは、だもんね。

 仲間の曲を、団員がせっせと楽しげに練習する土壌があるってことが素晴らしいと思うな。そういう意味で、〈ひぐらし〉ならではのステージになると期待しています。

 

──ひぐらしの団員一人一人に求めたいことってありますか?

 

清水 それはもう、“感じる力”を。

 

──感じる力、ですか。

 

清水 うん。それを、一人一人が自分で持っていてほしいと思う。

 こうすれば必ず上手になれるとか、いい声になるとかは、一般論では教えられないし、語れない気がするんです。人はそれぞれ違うから。この人にとってはこの発声、この歌い方がいいけど、別の人にはまた違う。しかも、たとえば発声で悩んでいる人がいたとして、でもその人が発声とはまるで別のことで何か気づきを得たことをきっかけに、すごくいい歌を歌えるようになることってあるでしょ。

 しかも、僕の思う〈ひぐらし〉は、そういうことの起きやすい団なんです。

 スイッチが入った時のひぐらしはいいよね。「先生の言う通り歌えているかどうか」ばかりを気にする合唱団では、ああいうスイッチは入らないからね。先生に言われたから、ではなく、納得した瞬間、いい音が鳴り始める。今いい音がした! って感覚を楽しめる。そしたらどんどん、音が変わっていく。だからこそ、みなさん、“感じる力”を磨いてほしいですね。

 

(2018/07/10 練習後、東京芸術劇場近くの中華店でビール)

 

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