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木とともに人とともに ― 清水昭にとっての「三善晃」

ピアノを弾く清水昭さん

(このインタビューは6月9日の練習後と、10日のJCDA本番の打ち上げの2度にわけて行いました)

 

 ――昭さんは、最初に三善晃の作品を歌ったのはいつですか。

 

 ◆早稲田大学コール・フリューゲルにいた頃。三善先生の「三つの抒情」を歌いました。

 僕らは、男声合唱団でしょ。三善先生の作品で男声合唱の作品はなかなかなくて。でも、我が師の関屋晋先生が三善晃大大大好き人間だったんです。

 「三つの抒情」は、福永陽一郎が男声版に編曲したのが先にあって、それを団として取り上げたこともありました。でも、福永さんの編曲は、トップテノールがメロディーではなく、セカンドテノールがメロディーでした。関屋先生はそれが気に入らなくて、僕を指名して、「書き直せ」と。それで僕が書き直しました。大学3年か4年の時だったと思います。そして、それを演奏した。つまり、僕と三善先生との「出会い」は「三つの抒情」なんです。

 当時の合唱界は三善晃ブームで、コンクールでも混声や女声はみんなが三善作品を演っていました。でも男声の曲は少なくて、男声合唱団は指をくわえてた。そういう時代でしたね。高校時代からもちろん名前は知っていたけど、でも歌ったのはフリューゲルの時が最初だったのだと思います。

 

 ――指揮者になられてからは、ご自分の合唱団で取り上げるようになった?

 

 ◆いいえ、当時僕が振っていた合唱団で、あの音取りの難しい三善作品をやれる根性のあるような合唱団はなかったからねえ。

 後に、野本立人さんと出会って、合唱団ひぐらしとかかわるようになって、「ああ、ここだったら三善作品ができそうだ」と思って。それからはもう、定期演奏会の「いろは」では毎年のように三善作品を演りました。ひぐらしに合っているかどうかなんて関係なく、いろいろやってみたかった。野本さんも僕も、ひぐらしでできそうな三善作品は全部やってみようぜ、って。そういうノリでしたね。

 僕自身は、自分の指揮で三善作品を音にできる、っていうのがうれしくてさ。超現代曲っぽいやつは置いておいて、ひぐらしで、ちょっと背伸びすれば手が届きそう、と思うものは片っ端からやりました。

 

 ――「木とともに人とともに」は?

 

 ◆2003年の「いろは」でまず野本さんが振って、その後、2005年の「日本語の力」という演奏会の時に、僕が振ったんじゃないでしょうか。「生きる」を振ったのも、それが最初でしたね。

 三善先生が旗振り役で始まった「上野の森コーラスパーク」という合唱イベントで、野本さんは準備委員だったんだけど、僕は僕で、東京都合唱連盟にいましたから、関わりがありました。準備委員ではなかったけど、三善先生とは結構ご縁があったんです。

 その前にも、昔、東京文化会館が主催する「都民コンクール」っていうのがありましてね。三善先生がまだ館長になる前の話。その時に、僕、審査員をしたことがあるんです。

 当時のお歴々の小林秀雄先生や三善晃先生ら作曲家の大先生が並んでいて、その末席に僕がね。いわゆる指揮者超若手枠、ってやつ。たぶん、関屋先生が断って、僕に回ってきたんじゃないかな。

 そういう時に、三善先生とお話する機会があったりもして。「今度、ひぐらしの演奏会で三善先生の作品をやるんです」などとお話した記憶があります。

 

 ――今回の演奏会で「木とともに人とともに」を選んだのはどうしてですか?

 

 ◆「生きる」はコンクールの審査に行くと、今でも意外と演奏されているので、人の演奏を聴く機会が多い、というのが一番の理由でしょうか。人の演奏を聴くと自分でもやりたくなるから。機会があったら、振りたいなあ、と。

 僕は、「生きる」は合唱団ひぐらしで1回、臨海混声合唱団で2回演奏しています。でも「木とともに人とともに」の全曲を演ったのは、ひぐらしだけでした。

 だから、今回演りたくなったんじゃないかな。あちこちで演奏を聴く機会は多いけど、自分自身はあちこちで演ってきたわけじゃないから。

 今年は「三善イヤー」だから、なんか俺も何か演るなら、これがいいなあ、と。ほら、「木とともに人とともに」は作品が生まれた現場に関わったから。野本さんもそうだけど。

 谷川俊太郎さんから詩をもらって、三善先生が書いて、「できたぞ!」っていうコーラスパークのための曲、その現場にいた人間だから。今回、「三善イヤー」に演るのにふさわしいかなあ、と思いました。

 

 ――JCDAのパンフレットでは、「生きる」を演奏するにあたって、ご自身が古稀を迎えることに触れておられましたね。

 

 ◆「生きる」はそうですね。俺は今年古稀。あと何年こういう仕事ができるか、とカウントダウンじゃないけど……。そういう時にこの曲と向き合ったら、20年近く前に初めて振った時とは、どこか違う景色が見えるかなあ、と思ったんです。

 

 ――今回練習していて「違う景色」は見えていますか。

 

 ◆見えたり見えなかったり、かな。でも「生きる」を小田裕之先生のピアノで演奏するのは初めてだから、その新鮮さはありますね。みんなの声とピアノで、新しいものが生まれるんですね。そういう現場はすごく楽しい。

僕は、言葉とメロディーとの関係をいつも気にするようにしています。「生きるという」と「生きるということ」で韻律も変わるとか。たたたたたー、たたたたたー、たたたたたーたたー、だと、3回目は特別な感じがするでしょう?。3回目はスペシャル。エネルギーがいる。濃い響きや充実感がほしくなるんです。

 

 ――昭さんは「生きる」という作品は、三善作品群の中では特別だと感じていますか。

 

 ◆それはあるんじゃないかな。「三つの抒情」とか「嫁ぐ娘に」とかと全然タイプが違う。1年間に亡くなった人のことを1999年の暮れに思い返しながら、ピアノをつまびいていて出来た作品だからね。無窮、というか。2000年を前に、流行ったもんね、「ミレニアム」って言葉が。でもどうして特別なんだろうねえ。うーん、わからないな。僕は、さらりと生きていたいんだけどねえ。

 

 ――今回「生きる」を演りたかったのは、ひぐらしだったから? それとも、ひぐらしでなくても他の合唱団でも良かった?

 

 ◆やっぱり「ひぐらしだったから」です。今「生きる」をやって何とかなりそうな合唱団は僕にはあまりないから。合唱団の体力とか、都合とか、かけられる時間とかを考えるとね。

 ひぐらしみたいな、バラバラのバックボーンのある合唱団で「生きる」を歌う。僕が指揮して、ベストを尽くして、今のひぐらしはこういう演奏です、ってことでいいと思うの。

 なんか面白かったねー、っていうので、いいじゃない。

 

――古稀の感慨、というのもあるんですか。

 

 ◆そうですね。60歳の時は「あと何年やれるか」なんて思わなかったんですが、今はね。だいたい私は気づくのが遅いんです。気づいた時は手遅れで、でもぎりぎり間に合う、という人生だから、ずっと。

 本番、間に合わせるとかさ。大事な答えを出す時とかさ。まったく準備してなかったり、うじうじしてたりして、ああああああ、って最後に火事場の馬鹿力、みたいな。一番よくあるパターンだと、人前でピアノをひく本番を忘れてて、前夜に思い出して、夜中にスタジオを借りてさらったりとか。そんな感じ。あああああ、みたいなのばっかり。

 

 ――「前夜に」ですか。そういえば今日もJCDAの「本番前夜」ですねえ。最後に「いろは」に向けて、団員に向けて一言お願いします。

 

 ◆えーっ。わかんないなあ。何だろう。うーん。だって明日どんな本番になるかわからないし。あ、それは明日の本番の後に聞いてよ。そしたら、何か言葉が出てくる気がするなあ。

 

(というわけで、6月9日のインタビューはここで終了。以下は、6月10日のJCDAの本番後、追加のインタビューです)

 

 ――あらためて今日、「生きる」を演奏してみて、どうでした?

 

 ◆やっぱり「生きる」は特別だなあ、と思いました。三善先生が1999年の大晦日に書いたという経緯のせいかもしれないし、僕にとっても。うーん、なんだかよくわからないけど特別な存在。作品の力、というか。

 三善先生の作品の中では珍しく、かなり調性的であるし。取りにくい音程がいっぱいあるような曲でもないし。「生きる」もそうだけど、「木とともに人とともに」の最初と最後の曲は特にそうなんだよね。

 だから、僕にとっても、なんだろ、うーん、うまく言えないなあ。

 「生きる」は、いわゆる難曲を得意としない合唱団でも、テキストも歌も取り組みやすい曲であって、だからこそ、学生もコンクールで取り上げるし、聴く機会も多いし、聴くたびに、いろんな演奏が可能な曲だなあ、と思うんです。

 

 ――つまり、すべての人に開かれている作品だと思う、と?

 

 ◆ああ、きっと、そういうことなんだよね。この曲だったらこのテンポでしょう、というのが強くなくて、もっと自由なんだよね。

 自分が観点を変えたら、また違った演奏ができる。何パターンもできるよ。無限のパターンで成立する作品です。

 三善先生の作品って本来、テンポも音程もかなり限定されていて、精密な建築物を再現しなきゃいけない。でも「生きる」はその苦しさとは違う場所にある作品なのね。だから、自分も年齢を重ねるたび、まったく別の違う「生きる」が可能なんです。ほかの三善作品だとそうはいかない。

 

 ――面白いと思うのは、昨夜のインタビューでは、昭先生は「生きる」がなぜ特別な作品なのか、言葉にならなかったですよね。でも今日の演奏会を経て今、それが言葉になった。つまり今日の体験が、昭さんのその言葉を引き出したってことだと思うんですよね。

 

 ◆そう思ってもらっていいと思います。

 

 ――だとしたら、昭さんは何を今日体験したんですか? どんな音が今、昭さんにその言葉を言わせているんですか?

 

 ◆僕は今日……やっぱり本番のひぐらしの音が好きだと思ったんです。それを感じながら振れた。本番は、すごくいい音がした。

 コンクール的には「いい音」ではなくても、とても幸せな音が鳴った。そういうひぐらしの音が好きな小田先生と、僕と、ひぐらしが出会って、本番ができてうれしかった。

 そういう時って、言葉はあんまりいらないよね。こうこうこうだからよかったとか、ここ失敗したとか、まったくそんなことが意味をなさないくらい、言葉は要らないのね。ミスなく音程もよくいい成績を取れた、というのとは全く違う、良い音楽体験なんですよ。

 この合唱団はそういう合唱団だ、ということ。今日僕は、それを確かめられた。本番で。

 ひぐらしは音程の完成度などは置いておいても、期待は裏切らないなあ、と。

 

 ――では改めて、いろはに向けて、団員みんなに一言お願いします。

 

 ◆このままでいきましょう。今日の勢いをこのまま1カ月後に。

 このまま突っ走りましょう!

(聴き手:小国綾子)

北とぴあで楽譜を持つ清水昭さん
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