合唱団ひぐらし
⻄下航平さん&野本⽴⼈さん 『五ねんがすぎて』を語る
(2024 年5 ⽉30 ⽇、練習の前に喫茶店にて)
⻄下航平さんの混声合唱とピアノのための組曲『五ねんがすぎて』を、むっちゃくちゃカッコ良く歌いたいよね――そんな思いを持ち寄って、作曲家の⻄下さんと指揮者の野本⽴⼈さんのインタビューが実現しました。渋⾕の街は苦⼿なのに、⾳楽としての「渋⾕系」は好き。合唱を⻑く続けているけれど「合唱が合唱過ぎるのは排他的」と感じたり。⾃称「へそ曲がり」で、それゆえ魅⼒的な⻄下さんの⽣い⽴ちや⾳楽の原⾵景、そして今回の組曲で⽬指したものなどについて、聞いてみました。【聞き⼿/⼩国綾⼦、取材協⼒/⾦城淳⼦、草間美弥乃】
――混声合唱とピアノのための組曲『五ねんがすぎて』は、どんなふうに誕⽣したんですか。
★野本:合唱団ひぐらしで、⻄下さんの曲を初演したいね、せっかくなら組曲や曲集で、と。⼀つの案として『すきとおる』が⼊っているといいよね、と提案しました。
――『すきとおる』はそもそも、2017 年3 ⽉25 ⽇、川⼝総合⽂化センターリリア⾳楽ホールで開催された⻄下さんの個展演奏会で、ひぐらしが初演した曲ですね。
★野本:『冬景⾊』などアレンジ作品を歌うことは既に決まっていて、せっかくならオリジナルもあるといいなあ、という話になったのかなあ。
◆⻄下:僕も経緯は忘れちゃいました。
★野本:僕は、⻄下さんの『すきとおる』については、⽥中達也さんの『合唱』と並んで、その作品を⼀番演奏している指揮者だと思います。『すきとおる』は単曲として置いておくのも良いけど、組曲の中に置くのもいいよね、と⻄下さんに話しました。
⻄下さんは最初、『すきとおる』と同様に全曲アカペラで書こうかな、と⾔ったので、「ピアノ伴奏のある曲と無伴奏の『すきとおる』と混じっていてもいいと思うよ」と伝えました。
――野本さんの提案がきっかけで、7年の年⽉を経て組曲が完成しました。⻄下さんは7年前に書いた『すきとおる』を組曲の⼀曲にすえて作品を書くことに難しさを感じませんでしたか。⼦どもにとっての「五ねん」よりは短いかもしれないけれど、⻄下さんもこの7年で随分と変化したはず。⼀から書くのとは違う⼤変さもあったのでは?
◆⻄下:実は、7年前に書いていた作品群の中では『すきとおる』はむしろ今の⾃分に近い曲⾵なので割と作りやすかったんです。
――『すきとおる』は、当時⼤好きだった⼭下達郎さん的なものを合唱に当てはめた、とよく語っておられますよね。
◆⻄下:当時、取り⽴ての運転免許でドライブする時、ずっと⼭下達郎を聴いていました。「パレード」とか。当時の僕はまだ、シティポップというジャンルをあまり理解も意識もしていなくて、ただ、⼭下達郎にハマっていただけ。その後、あるきっかけからシティポップ的なものにハマっていったんです。
僕の教えている⾳楽教室の⽣徒で、洗⾜⾳⼤の⼤学院に進学した⼦がいるんです。彼は⾼校1年からピアノを習い始め、作曲をやりたいと⾔い出した⼦なんですが。ある⽇、彼に⼭下達郎のコードワークを解説したら、次の週のレッスンだったか、彼が「⾯⽩い曲を⾒つけました。先⽣、絶対好きだと思いますよ」と持ってきた曲がある。それが、Cymbals(シンバルズ)の『Highway Star, Speed Star』でした。
――全然知りません、すみません。
◆⻄下:聴いた瞬間「これはすごいものを知ったかも!」と思いました。たまたま⼿元にParis Match のCD が1枚あって、それにハマっていた頃だったから。彼らの⾳楽、つまり当時「渋⾕系」と呼ばれていた作品群をもっと深く深く掘ってみよう、と。
この⼿の⾳楽の何が⾃分を⼼地よくさせるのか、何が僕にとって「いいな!」と思わせるものなのかを研究してみたい、と。そしたらシティポップにいきついて、なんと⼭下達郎にまたつながっちゃった!
――何が⾃分を⼼地よくさせるのか、最初は⾔語化できてなかったんですか。
◆⻄下:いや、だいたい当たりはついてました。もともとシティポップの系譜って、フレンチポップとかアメリカのニューミュージックから来ている。僕は元々フランス⾳楽が好きで、ドビュッシーとかプーランクとか、⼀⾒突拍⼦もないように思えるコード進⾏が実はなんとも
⼼地よい。そういうのが根底にあるのが⼤きいのかな、と。
フレンチポップやアメリカのニューミュージック、イギリスのインディーズレーベルで出すような⾳楽作品なんかがごたまぜになって出てきたのが⽇本のシティポップと⾔われるものなんです。そして渋⾕はやっぱりその「震源地」。
でも、僕、実は渋⾕って街が⼤の苦⼿なんですけどね。学⽣時代から、めったに寄りつかないことにしてます笑。
――へええ。街としての渋⾕は苦⼿で、でも⾳楽としての「渋⾕系」は好き、と?
◆⻄下:どうしてでしょうね。考えてみると、「当事者じゃないから」だろうと思うんです。渋⾕系とかシティポップって、⾔わば永井博さんのイラストみたいな。都会的なネオン、光り輝く街、そして海……。
――永井さんってシティポップのアルバムのイラストも⼿がけていますよね。海辺、プール……むっちゃおしゃれ、みたいな。
◆⻄下:シティポップのシンボルというか記号になっているあの世界観。僕はそういうのとほぼ関係のないところに育ったので、「当事者じゃない」んです。
僕がもしも渋⾕近辺に住んでいたとしたら、そういったものに⼀切幻想を抱かず、イメージを膨らませたりもせず、単に現実的なものとして受け⽌め、「⾯⽩くないわー」って思っていた気がするんです。でも、僕は⽥舎育ちだから、都会ってそういう場所なのかあ、と。むしろ
想像の世界が広がっていったんだと思います。
シティポップを網羅的に聴いたのは⼤学院を出た後でした。別に⾃分の⽣活の中に、海なんてなかったですしね。あ、でも、⼤学時代に⾃転⾞をこいで海っぺりをずっと⾛った体験は⼼に残っています。
明け⽅に坂の上から⾒た⼩⽥原の街がきれいに光っていたのを⾒て、僕は結構、感動しました。だってふるさとの⽯川県では⾒られない景⾊でしたから。あの時の海と⼩⽥原の街という光景は、⾃分の中のシティポップのイメージに重なっているのかもしれません。
◇ ◇ ◇
――ふるさとの話も聴かせてください。⻄下さんと⾳楽との出会いについても。
◆⻄下:ピアノを習い始めたのは6歳の時。でもエレクトーンを4歳で、リトミックは3歳から始めました。⽣まれは仙台ですが、⽗の仕事の関係で、千葉・船橋、埼⽟・浦和、そして⽯川県に引っ越しました。
僕とポップスとの出会いは、これはもう間違いなく、両親が家で聴いていた⾳楽です。⽗も⺟も⾳楽は何でも聴く⼈。僕が印象に残っているのは、チューリップ、アリス、かぐや姫、吉⽥拓郎、かまやつひろしとか……。
――ご両親っておいくつくらい?
◆⻄下:61 歳です。
★野本:つまり僕と同世代、ですね。僕らが中学校に⼊る前に、かぐや姫が解散してしまった。かぐや姫フォーエバーって解散コンサートを共⽴講堂でやっていて、僕はそのライブ盤を何度も聴きました。
――ギター、買いました?
★野本:もちろん。
◆⻄下:僕は実はギターには⼀切はまりませんでしたね。ギターというものとの相性がとても悪い。触ったら弦が切れちゃうくらい。(⼀同笑)
★野本:でも、お⽗さんが持ってたんじゃない?
◆⻄下:いや、ありませんでした。うちの両親は慶応⼤のウインドアンサンブルという吹奏楽サークルで出会った。⽗はチューバを吹いていて、⺟親はトランペットでした。
――なるほど。じゃあ、幼い頃から『チューバとピアノのための……』とか『ユーフォニアムとピアノのための……』みたいなのを聴いて育ったって感じ?
◆⻄下:いや、実は意外と聴いてないんです。僕、そもそもクラシック⾳楽に興味がなかった。オーケストラの曲を聴くことはあっても、よくわからなかったから、ちんぷんかんぷんなことを⾔ってました。「今のはオーボエの⾳でしょ?」と⾔えば「何いってんの、これはフルートよ」と⾔われちゃう。僕は楽器の⾳を聞き分けられないし、誰の何の曲かも全然分からなかった。たぶん、そういうことに⼀切興味がなかったんでしょうね。でも、両親の所属したウインド、というのは結構僕の⾳楽原体験のカギになっていて。
――えっ、どんな⾵に?
◆⻄下:⽗や⺟がいた頃は、まだ5期かそこらくらいだったらしいんですが、当時の仲間と「ヘビー・ミュージック・ソサエティ」なるグループをサークル内で組んでいたんです。いろんなネタを作っては、カセットテープに録⾳したり。⾔わばYMO のまねごとみたいなこと。コントを作ったり。
★野本:あったんだよねえ、当時。スネークマンショーとか。
◆⻄下:そうそう。そういうやつです。ああいうのが皆⼤好きで。僕が物⼼ついた時には、もう、家族何組かで集まって、年に1回、2泊3⽇で別荘で合宿してました。そこでジョークソングを作ったり。その場に集まる⼤⼈たちも実にいろいろな⾳楽を聴く⼈たちばかりだったから、僕はたぶんそこでたくさんの刺激や影響を受けたんだと思います。
このグループ、今も続いていて。今年は河⼝湖に⾏きました。去年は僕もコントを1作書きましたよ。「バーチャル整体院」っていうやつ。
★野本:その流れに嘉⾨達夫とかがいるんだよね。『⿐から⽜乳』とか!
――おお、私がむっちゃ好きなやつだ。
◆⻄下:その合宿に⾏くと、僕以外にも、いわゆる「⼦ども世代」がいるわけです。その中で⼀番若い⼦が今⼤学を卒業したばかりなんですけど、むちゃくちゃ昔の⾳楽について詳しい。どうしてだろう、と思ったら、「あっ、この集団にいるからかあ!」と。それで、⾃分もそうなんだ、と⾃覚しました。
――野本さんの⾳楽の原⾵景は? やはりお兄さんの影響?
★野本:兄は何でも聴いていたからねえ。ギターもすごい上⼿だった。ジミー・ヘンドリックスとかそういうのも聴いていたし。洋楽から邦楽までなんでも。
――野本さんのポップスの芽は?
★野本:僕はポップスにはのめり込まなかったな。かぐや姫がきっかけで、イルカ、サザン、そしてユーミン、さだまさし。そんな感じ。割と真っ当なところをふよーーーんとして、でも、ポップスにはそれほど⼤触りしてない。
――実はヘビメタをかじったりとか?
★野本:ないない。
◆⻄下:僕もロックには⾏かなかったです。フォークからニューミュージックの流れで。ユーミンはよく聴きました。僕の部屋にオルゴールが1個あって、ユーミンの『中央フリーウェイ』の。すごく綺麗な⾳。今も実家にあります。僕が最初に触れたユーミンは『中央フリーウェイ』だったかも。あとは、クイーンとかビートルズはよく聴いてた。ジャクソン5とかも。でも、親が聴いてるのを受動的に聴くって感じだったな。
――好きな洋楽をFMで必死にエアチェックとかしなかった?
◆⻄下:我が家は⼭間部だから、そもそもFMが⼊らなくて。AMを⾟うじて聴けるくらい。ただ、家にはクイーンやビートルズのCDやレーザーディスクがありましたから、それを聴いていました。そもそも僕は、⾳楽は好きだけど、ガツガツと⾃分から聴きにいくほうじゃなかったし、⾳楽番組にハマったということもなかったんです。
ずっとピアノは続けていて、流⾏曲とかゲーム⾳楽とかをピアノで弾くと友達が喜んでくれるから、そんなふうに遊んだりとかはしましたけどね。
結局、⾼校で合唱部に⼊ってからだと思います。僕が⾃分から⾳楽に能動的に関わろうとし始めたのは。
◇ ◇ ◇
――おお。いよいよ⻄下さんの合唱との出会い、ですね。
◆⻄下:僕の通っていたのは⽯川県の⾦沢泉丘⾼校。有名というほどではないけれど、⽯川県で合唱といえば、隣の⼆⽔⾼校か泉丘⾼校、という感じでした。泉丘は僕らが⼊るずっと前には全国⼤会に出場して銀賞を取ったこともあるそうです。
僕は⾼校の合唱部でライブラリアンをやっていて、その地位を乱⽤(?)して、学校の予算で⽚っ端から合唱の新しいCDを買っていました。それを「ガラケー」に⼊れまくってました。僕のガラケーは当時にしては⼤容量の800メガバイト。合唱曲を1500曲くらい⼊れてました。その中にあったのが、合唱団ひぐらしの録⾳した信⻑貴富さんの『ノスタルジア』だったんです。
合唱部の演奏会で『ノスタルジア』をやることになって、⼤学の⾒学のために東京に⾏った先輩が「CDがあったよ!」とどこからかひぐらしのCDを⼊⼿して来ました。僕が⾼校1年の時だから2007年の話です。
――⻄下さんと「ひぐらし」との最初の出会いは、そこまでさかのぼるんですねえ。
◆⻄下:そのCD、もう何度聞いたか分からないです。繰り返し聴きました。
僕がひぐらしに⼊団したのは2012年。だから、あひる先⽣(⽥中達也さん)の『朝の交響』を僕、歌ってるんです。元々は、公募型の合唱団に参加したら、そこに仁平秋弘さんがたまたまいて、仁平さんがひぐらしの団員と知って、「連れていってください!」とお願いしたのが、ひぐらしに⾏った最初なんです。
――仁平さんがつないだ縁でしたか。
◆⻄下:仁平さんといえば。7年前の個展の際に、オリジナル作品のテキストとして『すきとおる』という詩を僕に送ってくれたのも、仁平さんでした。あの時は、ほかのいくつかの詩とともに、ほかの誰かが選んだらしいものを仁平さんが送ってくれたんだと思います。
僕⾃⾝はこの詩がどの詩集に⼊っているかもしらなくて探すのに苦労しました。今回『すきとおる』を組曲にすると決めた時点で、詩集『⼦どもの肖像』を図書館でなんとか⾒つけたんです。古本屋で購⼊したのは、最近です。やっと⼿に⼊れることができました。
◇ ◇ ◇
――では、いよいよ、詩集と、そして組曲の話をしましょうか。まずテキスト選びについて。どの詩を最初に選んだんですか。
◆⻄下:『わらう』が最初です。逆に『五ねんがすぎて』は結構最後なんですよ、実は。皆さんに楽譜をお渡ししたのは、最初が『わらう』。これは去年のコンクールの直後にもうお渡ししたはずです。その次が『五ねんがすぎて』でした。
――じゃあ、その時点ではもう、詩はすべて選び終わっていたんですね。
◆⻄下:僕は最初、『ぼく』って詩を使いたかったんです。
――『なくぞ』とキャラが被りますね。
◆⻄下:そう。でも『なくぞ』よりいい、と思って。でも、実際作曲を始めたら『ぼく』って意外と曲にしづらい。しかもこの組曲の中ではちょっと歌詞が浮く気がしました。それで最後まですごく迷ったけれど、『ぼく』をあきらめ、『なくぞ』を採⽤しました。
でも、やっぱりこの詩集の『ぼく』っていいですよね。写真の、⼦どもの顔が良すぎるでしょう? 6歳で瓶底眼鏡。この⼝ぶり、表情、これで⼩学⽣かよ!って。
――私もこの⼦、⼤好きです。でも『なくぞ』を読んで、ああ、これをひぐらしで歌いたいって思いました。それである⽇のひぐらしの練習で、⻄下さんに何の説明もなくいきなり⼀⾔、「『なくぞ』を⼊れてくれなきゃ、泣くぞ!」と迫ったんです。そしたらすぐに⻄下さんに伝わったらしく、⻄下さんは「⼤丈夫です、⼩国さん、もう⼊ってます」と。
★野本:あなた、作曲家を脅迫しに⾏ったの? ひどい団員だ!
◆⻄下:ははは。でも、⼩国さんに⾔われた時点で『なくぞ』を採⽤すると決まってなかったら、僕は逆に『なくぞ』を採⽤しなかっただろうな。僕、へそ曲がりだから。
――ひいい。危なかった……。ところで『五ねんがすぎて』という詩は、この詩集の中では唯⼀視点が⼦どもじゃないですよね。
◆⻄下:そうです、これは全体を俯瞰した詩なんですよね。だからやはり採⽤する⽅がいいかなと思いました。また、この詩を組曲の最初に置くことで、物語というよりは、オムニバスみたいな感じで、曲と曲をもうちょっと有機的につなげることができるし、そうしないこともできると考えました。
――なるほど。とある団員の発案で「最後の1曲の詩を当てよう」というクイズ企画をやりましたが、あの時には既に『おおきくなる』が終曲になると決まっていたんですね。
◆⻄下:そうです。でも、あのクイズの答えはそれぞれにいい線いってるなあ、と思いましたよ。
――ご⾃⾝で書いた楽曲解説に「『なくぞ』を挟んでシンメトリーな組曲」という表現がありました。もうちょっと解説してください。
◆⻄下:単純ですよ。『なくぞ』は速い曲。『すきとおる』『わらう』は遅い曲。『五ねんがすぎて』『おおきくなる』は中くらいの曲でしょ。しかも『五ねんがすぎて』と『おおきくなる』は途中にはっきりとベースラインが同じ箇所があったりしますよね。
それから『わらう』は限りなく合唱に近いポップス。『すきとおる』は限りなくポップスに近い合唱曲。「なくぞ」を中⼼に曲調が裏返っているんです。
――今回の組曲、ものすごくピアノに語らせますね。ピアノが好きだから?
◆⻄下:それもあるかもしれませんが、合唱にあまり無茶苦茶を書けるわけじゃないし、合唱に無茶をさせても良い演奏効果は出ませんから。リズムは合唱よりピアノのほうが出せる。ドラムもギターもベースもいないから、ピアノにそれを担わせよう、と。
僕が今回、ピアノを清⽔史さんにお願いしたのは、こういうフィーリングに合わせた演奏がきっと彼⼥はうまいだろうな、と直感したからなんです。
――史さんとのピアノとの初合わせ、いかがでしたか?
◆⻄下:素晴らしかったです。このピアノ、楽譜通りに弾きゃいいってもんじゃないんです。⼀つ⼀つの⾳がどこに向かっているのか、どこに進むべきなのか、そういうグルーヴ感を持っていないと、思った演奏になりません。史さんは、リズム感にしろ、ヴォイシングにしろ、僕の意図したことをやってくれる。楽しみでしかたありません!
――今回の⻄下さんの組曲、不思議な感じがするんです。合唱の⽂脈でポップスといえば、まずポップス作品の合唱アレンジが浮かびますよね。それから、もう⼀つは、オリジナルな合唱曲だけど、ちょっとポップスっぽいリズムやフレーズやコード進⾏を使っています、みたいな作品。でも今回の⻄下さんの作品は、この2つのどちらとも違う、と感じます。合唱曲にポップスの⾊を塗っただけじゃない感じ。ここをぜひ聴いてみたいです。
◆⻄下:合唱が、合唱過ぎない作品を書いてみたかったんです。合唱が合唱過ぎてしまうのって、これは吹奏楽などほかのジャンルでもそうですが、そのジャンルがそういうジャンル過ぎてしまうっていうのは、⼀種、排他的な流れでもあるじゃないですか。
もちろん、それがハマるきっかけにもなるんでしょうけど。僕は合唱を⻑いことやっているけど、吹奏楽には結構距離をずっと置いている。そんな⽴場から⾒ていると、「ハマり過ぎているのって怖いわ」と思う部分があるんです。
だから、ほかのものと組み合わせて、⾳楽をちょっと拡張できないかな、と。合唱という世界を他のものと組み合わせて、拡張できないものか、と考えたんです。だから「ゆるい実験」みたいなものなんですよ。
――合唱の拡張! むちゃくちゃ⾯⽩い。
◆⻄下:合唱曲にポップスの⾊を塗っただけ、とか、ポップスを合唱アレンジしただけ、とか、それじゃ意味がないので。もっと⾼次元に融合しないといけない、と思いました。
要素を⼀つ⼀つ分解して、例えるなら、ハンバーグを作る時に、挽⾁の代わりに⾖腐を使ってみよう、とか、ソースや焼き⽅を変えてみよう、みたいな。⾁を新鮮なのにして、レアで焼いてみよう、とか。そういう感じで合唱にポップスを混ぜ込んでみよう、と。それができたかどうかは分かりませんが……。
――お話を聞いて、すごく納得しました。
◇ ◇ ◇
――じゃ、ここからは1曲ずつ語っていただきましょうか。まず『五ねんがすぎて』から。松原みきさんの『真夜中のドア』の、♪Stay with me……とか聴くと、なるほど、です。KIRINJI の『⾬は⽑布のように』も。
◆⻄下:僕は後から知ったんですが、ピアニストの清⽔史さんもKIRINJI がめっちゃ好きなんですよ。そんな話でこないだ盛り上がりました。
この曲は、シュガーベイブとかフリッパーズ・ギターとか、そういった⾳楽によく出てくるシンコペーションのリズム、そしてちょっと⼒の抜けたメロディー。それから急に出てくる⾳の跳躍なんかも、この時代の曲によくあるフレーズなんですよね。
曲の始まりに、素直に「Ⅰ度の和⾳」を⽤いないで、九の⾳から始める。七の和⾳から、しかも三転で。つまり、クラシカルな⾳楽の常とう句である「Ⅰ度から始めましょう」みたいなのからはちょっと離れたのを書いてみようと思いました。
途中で出てくるリズミカルなベースラインの動きもそう。⼭下達郎さんがそうだし、ほかにもこの作品を書いた後で知ったんですが、アメリカにGinger Root って⽅がいて、彼は細野晴⾂とかに憧れて、英語の曲を⽇本の80 年代のシティポップでやりたくて、⾃分で演奏して歌って、ミュージックビデオを作っているんですが。彼の曲がまさに、こういうベースラインですね。
(注:良かったら、Ginger Root、検索して聴いてみてください。⽇本のシティポップを因数分解して、要素を使い倒してる感じがむっちゃよくわかります)
「サビ」の始まりも「Ⅰ度の和⾳」ではなく、「Ⅱ度」の「九の和⾳」とか。そういう、ひねったところから、おしゃれに始めてみたりとか。
――ヴォーカリーズもエモいですよね。
◆⻄下:ヴォーカリーズは、ポップスにおけるコーラス的な⼿法を混ぜてます。バックコーラスのイメージです。と同時に、クラシカルな⽂脈での⾳の進み⽅も意識しているんです。対位法的にもきちんとさせる。すなわちメロディーとは違うリズムで動いて、リズムを埋めていくイメージ。これはポップス然とし過ぎないためでもあるんです。
だって、完全にポップスに染まってしまうことを僕は意図していませんから。これはあくまでも合唱曲。ただポップスの⽂脈を取り⼊れる。⾼度に記号化されたポップスの⽂脈を取り⼊れ、ポップスの対位法みたいなことも考えているわけです。
完全にポップスにしちゃうと、⼭下達郎の焼き直しになっちゃう。
――2曲⽬『わらう』は「⼀番合唱っぽい」と?で、⼤貫妙⼦?
◆⻄下:どこが⼤貫妙⼦なんだろう、と思われるかもしれませんが。⾳づかいはポップスなんだけど、クラシカルな⽂脈をはらんだものなんですよ。
意外と、三善晃的な⾳づかいは、こういうポップスに向くなあと思うんですよ。実際、三善晃⾃⾝もそういう曲を書いているじゃないですか。僕は三善晃ほど難しくは書けないけれど、というか難しく書くと切りがないんで……。
――いや、難しいのは、やめてください。
◆⻄下:いずれにせよ、僕が三善晃の模倣をすることに、意味はないですもんね。ただ、それを⾃分でかみ砕いてやることには意味があると思ったんです。
★野本:模倣ね。だいぶ三善作品に良い意味で寄っているよね。最後の終わり⽅とか。
◆⻄下:ええ、そこは随分と三善晃を意識しました。しかも、ピアノでさらに「七の和⾳」を重ねるというむちゃくちゃなこともしてます。
でも、三善先⽣というか1970年代の⼦ども向けの歌の終わり⽅にも、こういうのが多いんですよね。⼦どものための歌に。わかりやすい例だと初代の「ドラえもん」。♪チャ チャ チャラララ〜、で終わるあの和⾳、「レラ♯ファミシレ」だから。案外懐かしさを感じる⼈が多いんじゃないかと思って。
『わらう』の終わりの⾳は、終わらない感じのする不思議な⾳。これはフェイドアウトを意識している感じです。昔の曲って、フェイドアウトが多かったじゃないですか。
――えっ。最近はないですか。フェイドアウトって昔の流⾏だったんだ!
◆⻄下:今はみんな、ちゃんと終わりたいんだよね。僕にはなぜかよくわからないけど。時代の変遷とともに、どんなふうに終わりたいかも変わってきていると思うんです。
★野本:フェイドアウトってリフレインをしながら、途中で段々消えていく。つまり、終わらないんだよね。
◆⻄下:そう。だから、『わらう』はフェイドアウトみたいに、「終わらない終わり⽅」なんです。ちなみに『五ねんがすぎて』は組曲全体としても「複調」で終わるパターンが多いです。僕の好みです。「浮遊感」が出るからすごく好きなんです。
◇ ◇ ◇
――では3曲⽬。『なくぞ』について。
◆⻄下:組曲の中ではとても快速な作品です。『なくぞ』は詩⾃体がとてもユニーク。「泣くぞ!」と⾔っても全然深刻な感じじゃない。むしろ⼦どもが「泣くぞ!」と⾔っている時って、⼤⼈の⽬にはほほえましいくらいですよね。でも、⼤⼈から⾒るとたいしたことなくても、⼦どもからしたら本気だったりするわけですよ。そのコミカルさと本気さが曲に出るといいかなあ、と。
ピアノ部分は最初、ジャジーに始まります。ここはピチカート・ファイヴの⼩⻄康陽さんたちが好んで書いた⾳。だから『なくぞ』の元になっている曲は⽐較的新しいんです。彼らは、フレンチポップやゲンズブールの⾳楽なんかを取り⼊れたりもしているわけですが、そういうところをうまく落とし込めないかなあと。
――冒頭の「なくぞ!」、どんな感じを期待します? ばしっと決まらないんだけど。
◆⻄下:でも、まあ、あんまりきれいに決まりすぎても⾯⽩くないかもしれませんね。
――「なくぞ」のセリフを⼊れるところのヴォーカリーズ、LuLuLu やLaLaLa なんだけど、どういうイメージで書いてるんですか?
◆⻄下:フィーリングです。本当はフリッパーズ・ギターの『恋とマシンガン』みたいに、「ダバダバ」くらいがいいんだけど、これ、合唱でやろうとするときっと難しい。そういう実⽤的なことも考えなきゃ。「ダバダバ」は⼀⼈でやる分にはいいんですけど、混声合唱でやるとそろわないだろうな、と。
――1⼈、と⾔えば、この組曲にはソロ指定がほとんどないですよね。「ソプラノ上が全員で歌うよりは⼀⼈でやったほうがきれいだろうな」と判断してソロにした、みたいなのが1曲⽬に1箇所あるくらいじゃなかったでしたっけ?
◆⻄下:そうです。あとは5曲⽬の最後のテナーソロくらいです。
――ソロを意図的にあまり⼊れなかったんですか?
◆⻄下:このテーマの⾳楽では、ソロって思いつかないですね。「いい声で歌いましょう」みたいな作品ではないので。パートソリの⽅が向いている⾳が多い気がしたんです。
――『なくぞ』はひぐらしで好きな⼈、多いでしょうね。
◆⻄下:こういうのは難しく考えず、多少⼒を抜いてやったほうがいいんです。合唱をちゃんと歌おうとし過ぎてしまうと、うまくいかないところがあるから。
――なるほど、「合唱を、合唱し過ぎないように歌う」……ですか。野本さんは、それ、どう思います?
★野本:僕もその通りだと思いますよ。
◆⻄下:僕は⼀度合唱から離れた時期があります。「ひぐらし」にいなかった時期。その間はわりと器楽曲を書いていました。その間、合唱に対する向き合い⽅を⾒つめ直していたんです。ほら、盲⽬的に合唱だけが好き、みたいになるのではなく、どうやっていけばいいか。書き⼿としては、盲⽬的にその分野に⾏ってしまうことで、熱狂的なファンに迎えられるかもしれないけれど、⾮常に狭窄した作品を⽣んでしまうことにもなりかねないじゃないですか。
僕はそれでもかなり合唱に寄っている⽅だとは思うのだけど。でも⾃分なりに、昔に⽐べると適切な距離を保てるようになったな、と思っています。
――その上で、⻄下さんにとって合唱の良さって何なんですか。
◆⻄下:良くも悪くも「⾔葉」でしょうね。器楽と合唱の両⽅を書いて思うのは、合唱には「⾔葉」がある。⾔葉があるからいいと思う⼈もいるだろうけど、逆に、⾔葉があるからダメという部分もあるんですよね。表裏⼀体。だからそれを上⼿に使っていきたい。意味をなさないスキャットやヴォーカリーズで良い⾳を⼊れることで、⾔葉から解放される、ってありますよね。
――ああ、だから⻄下さんの作品のヴォーカリーズってどれも印象的なんですね。歌っていると⼼を持っていかれる感じがあります。「⾔葉からの解放」かあ!
★野本:⾔葉はとても⼤事だけど、⾔葉があることで、⾔葉に酔ってしまうことがある。あげくの果てに「⾔葉がいいからいい曲」となってしまうことすらある。でもそれは違いますよね。合唱曲らしさ、の⼀つには「⾔葉に酔いやすい」ということがある。
でも、それも時代によって少しずつ変化していくのだと思う。その時代時代に、誰がメジャーなのか、というのにも関係するけれども。例えば僕らが⾼校⽣の時代は、髙⽥三郎先⽣や⼤中恩先⽣が「合唱曲らしい合唱曲」だった。その頃は、三善晃作品や林光作品はむしろ「合唱曲らしくない合唱曲」だったんですよ。だから尖った⼈たちは髙⽥作品や⼤中作品ではなく、三善作品や林作品に向かった。
今だと、⼀番メジャーなのは信⻑貴富さんなのだろうけど、じゃあ「合唱らしい」かと⾔われると、彼はものすごいチャレンジャーだから。いろんな意味で。さまざまなジャンルを合唱に取り込んでいるから、これまでのような⽂脈で彼の作品を「合唱らしい合唱曲」と⾔えるかはちょっと疑問。ただ、愛好する⼈たちにとっては、ああいう作品が「合唱曲らしい合唱曲」となっている可能性はあるよね。
◆⻄下:僕は初めて合唱部に⼊って歌ったのが信⻑さんの曲だったんです。その時に⾯⽩いと思ったのは、信⻑さんの作品って「クラシック然」としていないんです。ポップスの⽂脈を彼は使うじゃないですか。でもあれを真似している限り、「信⻑さんの⾳楽」なんです。あれは信⻑さんがあの時代にやったからこそ意味があるんだと僕は思う。
僕はそれを踏まえて、もう⼀つ先にいかなきゃ、と。
★野本:今回の組曲は、⻄下さんが「これはポップスの⽂脈なんです」と明かさなければ、今の時代なら「純然たる合唱曲」と思う⼈が多いと思いますよ。シンコペーションとかこういうリズムとかコード進⾏だって、すでに合唱曲にはいっぱいあるから。今回の⻄下作品は、それをあえて明らかにした上で「合唱の⽂脈じゃなくて」とアプローチしようとしているところが⾯⽩いんです。
もっと⾯⽩いのは、さっき⻄下さんが「各曲が有機的に結びついてもいいし、そうしない選択もできる」と⾔った通り、結構ばらついているんだよ。このばらつきが多分、今回の組曲の⼀番⾯⽩いところだと思うな。
――こないだの野本さんの練習で、初めて全曲を通して歌わせてくれたじゃないですか。あれ、本当に良かった。実は通して歌うまで、作曲時期が7年ずれてる無伴奏の『すきとおる』だけが浮くんじゃないかとか、妙な⼼配をしていたんです。でも通した瞬間になるほど!と腑に落ちました。それぞれも違うし、それでいいんだ!と。
★野本:全部がバラバラで、でも、シンメトリーな構成になっていて。『なくぞ』から『すきとおる』『おおきくなる』の後半3曲の関係性がものすごくいい。考え抜かれていると思います。だからこそ、演奏する側は1曲1曲に対してものすごく集中し、それぞれに違うアプローチをしていかなければいけないと思っています。ここで僕の計画はばらすつもりはないけど……。
――ばらしたくないのですね。
★野本:ここでばらすとさ、僕がそれに縛られるから。そんなの嫌なんだ。
◆⻄下:もしかしたら、アルバムを作っているイメージなのかもしれません。。
★野本:なるほどね。アルバムタイトルがあるから、なんとなくそういうテイストで皆がアプローチするけれど、1曲1曲⾒てみると全部違うもんね。
◇ ◇ ◇
――では、いよいよ『すきとおる』について、存分に語ってください。
◆⻄下:あれは厳密には8年前に書いた作品なんです。実は「当時よくこれを書けたなあ」というのが僕の中にある。「会⼼の出来」だったんです。すごく気に⼊っている作品です。8回くらい書き直したの、覚えています。<♪まだあったことのない こいびとのほうへ> ってここが出てこなくて。
★野本:へええ。ここ、シビれるよねえ!
◆⻄下:ここを書く時、「ベースに、普通にベースの⾳をやらせるのはどうなんだ?」と⾃問するところから始まりました。途中で「ベースパートをベースじゃなくすればいいんだ!」と気づいて。まあ、ベースの歌い⼿さんには気の毒だけど、美味しいところが増えると思っていただくとして。
★野本:僕はこの作品を⼀番たくさん演奏した指揮者だから……つまり逆に歌ったことがほとんどなかったの。1回、何かの機会にべースパートを歌うチャンスがあって、歌って初めて気づいた。「ベースっぽくないよなあと思ってたけど、こんな難しいことやってたのか!これを上⼿に歌えるべースってなかなかいないよなあ」などと思いながら歌いました。
初演した時は「すごいきれいな⾳だけど、なんだこりゃ」と。ちゃんと理解できていなかったかも。再演に取り組んだ時、いろいろ氷解してきて「わかったわかった!」と。ひぐらしの演奏会で再演したのだけど、その演奏をYouTube で聴いて、いい演奏しているなあと思って、ツイッターに「これはいい演奏だった。幸せだったな」と書いたのを覚えています。
――⻄下さん、ひぐらしにいなかった「空⽩期」っていつなんですか。
◆⻄下:2012 年から2014 年ぐらいまでひぐらしで歌っていて、15 年はコンクールだけ出ました。17 年の個展の時はもういなかったです。で、2021 年、コロナ禍の後、戻ってきたんです。⽥中達也さんの『合唱』のリモート演奏をやる話がきっかけでした。コロナ禍でずっと家にいるし、家で歌って参加できるなら、と歌い始めました。ベースを歌って、テナーを歌って……飽き⾜らず、アルトとソプラノまで⼀⼈で歌って⾃分で編集したりしているうちに、無性にまた歌いたくなってきたんです。そろそろ、歌ってもいいかな、って。
★野本:コロナのお陰で戻ってきてくれたんだねえ。
◆⻄下:急にヒマになって、家に閉じこもっていると「ああ、このままだと落ちていくなあ、ダメだ」と。で、ふと「歌いたいなあ」「戻ってもいいかなあ」と。
――⻄下さんの場合、そこから、ひぐらしとの距離が急接近するじゃないですか。練習ピアニストになり、練習担当になり……。
★野本:最初はね、躊躇してました。コロナ禍があけて忙しくなったら、またいなくなるかもしれないし、⻄下さんにどこまで頼んでもいいのかなあ、と。でも、なんとなくいついてくれそうな気配もあったし、よっしゃよっしゃ、みたいな。
――⻄下さんのお好きな⽇本酒で釣ったりして?
★野本:あははは、そんな感じですね。
◆⻄下:僕にとっては、若い⼈が増えていたのも⼤きかったのかも。近い世代の⼈がいつの間にか増えていて、⾯⽩いなあ、と。
★野本:ひぐらしにこれだけ貢献してくれているのだし、⽥中達也さんの作品を委嘱したら、次は⻄下作品だなあ、と。『すきとおる』は本当にいい作品だし。
◆⻄下:でも、だからこそ、この作品は僕を結構苦しめました。「これを越える曲を書かなきゃ」って。
――7年後、あらためて組曲を書き上げて、「越えた」実感はありましたか。
◆⻄下:どうかなあ。僕はやっぱり『すきとおる』が⼀番いいなあ。ただ、昔より武器は増えました。パレットの上で使える⾊の数は増えたし、筆もいっぱい持てるようになりました。
その上で、『すきとおる』を書いた時の斬新な発想を、もう1回と⾔わず、何度でもやりたい、そこは⽢んじたくない、と思っています。
◇ ◇ ◇
――さて、5曲⽬。『おおきくなる』です。
◆⻄下:この曲は『すきとおる』からそのまま歌えるように調性を引き継がせています。ほぼアタッカで⼊っていいと考えている曲です。
★野本:微妙にアンサーソングみたいな感じがするもんね。『すきとおる』の世界観と、それに対する『おおきくなる』。問いに対する⼀つの答え。
◆⻄下:そうですね。そういう感じです。これ、調号を♯で書いていいのか、ってすごく悩んだんですけど。僕のわがままで書かせていただきました。これは「シャープ6つでいかなきゃダメだ」と思ったんです。
★野本:⾯⽩いよね。絶対⾳じゃない合唱団員も結構いるはずなのに、調号が増えると⾳程が悪くなるんだよね。
――せっかくなので、取材協⼒の皆さんからもぜひ、質問どうぞ。
●草間:⾕川俊太郎さんは詩を書く時、⾔葉が湧き出てくる、とおっしゃいます。それはでもインスピレーションとかではないんだ、と。⻄下さんはどうなんですか。曲を書く時、⾳やフレーズってどんなふうに出てくるんですか?
◆⻄下:僕はわりと「降ってくる」タイプ。もちろんそれは、今までの聴いてきた⾳楽、そして経験の積み重ね、蓄積の結果だと思いますけど。「ひねり出す」こともあるんですが、結局、「降ってきたもの」には勝てないです。どんなにひねり出してもうまくいかない時もあるのに、ある時、「こっちのがいけるやん!」と降ってくる。そんなふうに⾃然に決まった時って、パズルのピースがカチっとはまる。『すきとおる』の練習番号C がまさにそんな感じでした。
――降ってきちゃうのですか。すごい。
◆⻄下:⼭下達郎的にやるなら、ベースラインをこう動かしたらうまくいくんじゃないか、なんて考えていてもなかなか出てこないんです。まあ、でもそんなふうに考えた時間が根底にあるからこそ、降ってくるんだろうけれど。降ってきたらもう、どーって書けちゃう。⼀晩寝かせて冷静になって、少しは直したりもするんですけど、「うん、これだわ」となって、もっていける状態になるんですよね。
★野本:なんだってそうなのかもねえ。⽂学とかも。僕らだと、例えば選曲だってそう。
――選曲も降ってくる?
★野本:もちろん散々考えているんですよ。頭の中で。次の演奏会では何をやろう、と。ずーっと考えてはいる。でもそうして頭にずっと置いておけば、ある時突然、「あ、あれだ!」と。そういうのを⼤事にしていないと、合唱団と作品と⾃分とのいい関係ってなかなか作れないんじゃないかな。「降ってくる」って⾔ったって、神さまが降らせてくれるわけじゃない。
◆⻄下:ですね。⾃分の深層意識の中からふっと……。寝てる時に夢に出てくるみたいに。
――最後に。お⼆⼈は、合唱団にこの作品をどんなふうに歌ってほしいですか。
★野本:どう歌ってほしい、というのはあまりありません。ただ、⾝近なところに⽣きている作曲家がいて、その⼈に「ねえねえ」ってすぐ話が聴ける関係性の中で演奏できるのって、本当に幸せなことなんですよ。⽥中達也さんの時もそうだったでしょ。
そのことを⼤切に、⼤事に思って、愛情を持って演奏してほしいと思います。本当にそれだけですよ。彼らが僕らに与えてくれているものに答える、唯⼀の⽅法だから。⼀⽣懸命に歌おう!
◆⻄下:あまり固くなりすぎずに歌ってください。固くなって歌う作品じゃないと僕は思っているので。⾳楽的な態度がいいかげんで構わない、という話ではないんだけど、ガチガチになりすぎないこと。⾳程を合わせるのは⼤事だけれど、それにこだわりすぎて⾳楽の根幹を忘れないでほしい。例えば、歌うことだったり、「ノリ」だったり、そういうことを忘れずにやるのが⼤事だと思っています。
――この作品、歌いながら胸がきゅっとなったり、「ここは歌いこみにいきたい!」などの衝動が起きやすいです。やりすぎたらバラバラになるかな、と思いながらも⽌められなかったり……。
◆⻄下:まあ、それはそれで(笑)
★野本:「好き!」とか「びっくり!」とか、いっぱいあった⽅が、きっと⾯⽩くなるんじゃないかな。
――ありがとうございました。